部長たちとの対峙で学んだこと|コテンパンにされて見えた「本気のレベル」

Life Lessons

久々に、上位陣や部長たちが顔を揃える場に出席した。
自ら練り上げた企画を携え、正面からぶつけに行ったのだが――結果はコテンパンだった。

「ガツン」と飛んでくる鋭い意見。こちらの甘い見通しを一切見逃さず、容赦なく本質を抉り取られる。
部長たちの凄みというか、漂う真剣さの迫力に、私は完全に気圧されていた。ぐうの音も出ない。
会議を終えた後、胸の奥にはずっしりと重いものが沈み、うまく渡り合えなかったもどかしさと悔しさが渦巻いていた。


決して、生半可な気持ちで臨んだわけではなかった。
自分なりに考え、準備もしていった。そして何より、自分のところでボールを留めておくわけにはいかない、早く共有して前に進める必要があるという判断もあった。

けれど、彼らと対峙して痛烈に思い知らされた。
**「準備の気合度が、決定的に足りていなかった」**のだ。

部長たちのレベルは、やっぱり圧倒的に高い。
それは単に地位や経験があるからではなく、目の前の仕事や会社の未来に対して、誰よりも真剣に、誰よりも深く考え抜いているからだ。
あのレベルの真剣さで戦っている人たちの前へ、悩み抜きの足りない企画を持っていけば、「ふざけるな」と跳ね返されるのは当然の道理だった。

「もっと悩み抜いていく必要があったんじゃないか」
「早く共有するスピード感は守りつつも、もっと深く思考を潜水させるべきだった」

自問自答を重ねるほど、自分の浅さと、相手のレベルの高さが浮き彫りになる。
悔しい。本当に悔しい。
あそこの場に怯まず入り込み、対等に議論をやり合える自分でありたかった。


だが、その苦い悔しさを噛み締めながら、不思議と私の心は折れていなかった。
むしろ、全身の血が静かに沸き立っていくような感覚があった。

「くそー、あのレベルとやり合いたい」
「もっと対等に渡り合えるようになりたい」

悔しさの底から湧き上がってきたのは、強烈なまでの闘志だった。

日常の仕事を普通に回していると、人は知らず知らずのうちに「これくらいでいいだろう」と自分の枠に安住してしまう。無意識のうちに、ぬるま湯に浸かってしまうのだ。
だからこそ、**「定期的に打ちのめされること」**が絶対に欠かせない。

本気で向き合っている人の凄みに触れ、徹底的に叩きのめされるからこそ、自分の「ぬるさ」に気づくことができる。
あの場で痛烈な一撃を浴びせてもらえたことは、私の目を覚まさせる最高の刺激だった。


ぬるかったかな。いや、間違いなくぬるかったのだ。
ならば、もう一歩踏み込むしかない。

今向き合っている案件は、経営層・社長への報告に直結する極めて重要なミッションだ。
この仕事の優先度を、私のトッププライオリティに据えよう。
これは会社への貢献であると同時に、私自身があのレベルへ手を伸ばし、自らのステージを引き上げるための絶好のチャンスなのだから。

もっと悩み抜き、もう一歩、思考の深みへ踏み込む。
悔しさを極上の燃料に変えて、今日も全力で、自分が納得する仕事をやり切ろう。

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